優勝トロフィーの行方

毎年年明けに行われる高校生の全国サッカー大会だが今年は、雪の影響で決勝戦が延期されていた。優勝をかけた争いで予期せぬ延期により、選手たちもモチベーションを維持するのは大変である。地方大会を勝ち上がった強豪校が集まり、首都圏にあるいくつかのサッカー場でトーナメントを行う。開幕戦を戦うチームと準決勝まで勝ち残った4チームの計6チームのみが聖地と呼ばれる憧れの競技場で戦うことが許される大会である。しかし、今年雪の影響で憧れの場所が使用不可となり、試合自体が延期となった。勝者に渡されるはずの優勝トロフィーも決勝戦予定日から一週間持ち越しの形となった。延期になった決勝戦は白熱した試合となり試合時間内では決着がつかずPK線までもつれ込んだ。どちらも死力を尽くした試合であったがわずかな差で勝者が決まった。トロフィーを手にした勝者であるが、来年も同じ高校が手にすることは至難の業となる。高校野球もサッカーも連覇というのは厳しい道のりである。出場する選手も変わりチーム編成も一新する。ほかの学校も有望選手が頭角を現し力の分布図が変わっていくのだ。同じ場所に同じ学校が立つというのは本当に厳しいことである。来年はどの高校が優勝トロフィーを手にするのか誰にもわからない世界である

甲子園の大会で優勝してトロフィーをもらう意味

毎年、春夏で熱い祭典として上げられるのは甲子園だろう。高校球児の魅せる熱戦をテレビや、間近で観戦することで感動をもらう人は少なくない。この甲子園で優勝し、トロフィーをもらうことにどんな意味や意義があるのだろうか。ただの記録として残ることとは別格な「何か」を得られるのではなかろうか。毎年、春夏の甲子園が行われると、必ず特集番組が組まれ、テレビ放送される。そこで流れる友情ドラマや家族ドラマは本当に感動する。高校球児の生の心情が表れ、感動以上のものを味わえる。そういったものを見ると、甲子園で優勝しトロフィーをもらう意味がなんとなくわかる気がする。記録や感動だけには代え難い「何か」がそこにはあるのだ。昔からスポーツなどの勝負事には順位はつきもので、優勝を目指すのは当たり前であった。しかし、1位を取ったときに得る、「モノ」や「記録」より、大きな「何か」を得ることが本当は求めるものなのだと勝ちを得た時に気付かされる。甲子園ではそのことを本当に教えてくれる祭典だ。春夏の大会でみせてくれる、あの感動を味わうためいまから楽しみにしている。実際に甲子園を目指していた人には、大きく頷いて頂けることでしょう。